2018/03/01
春の嵐が轟轟と街を抜ける。
二月の冷ややかな情景を雨が拭い、街を陽気が覆う。
そして、うららかな初春の陽ざしと共に僕を見舞ったのは、花粉症と鼻風邪だった。
上司に電話して、有給を取る。
幸いにして今日は職場でこれといった仕事もないし、溜まっている仕事もない。
すっかり利かなくなった鼻に薬を入れて、簡単な朝食を済ませる。
直に昼になって、昼食のことを考える。
近頃めっきり行っていない近所のラーメン屋に行こうと思い立ち、外に足を踏み出す。
平日昼間の町は、なんだかとても不思議だった。
休日や夜には降りている喫茶店や洋品店のシャッターが空いていたり、学校がざわざわしていたり。
よく歩くはずの町なのに情景はまるであべこべで、先日ふと読んだ萩原朔太郎の「猫町」を思い出す。
何の面白みのない町の情景が、地理感覚の消失を経て全て新しく見える感覚。
きっとかくして朔太郎は幻惑にも近い錯覚に陥ったのだろうと膝を打つ。
ラーメン屋で軽く腹を満たして、仄かに気力がわいてきた。
腹ごなしに少しだけ遠回りして帰ろうとしたときに、殆ど使い物にならない鼻が、かすかな甘い匂いを感じた。
思わず足を止める。
午後の陽を遮るマンションを縫って、いなたい住宅街の坂をのぼる。
坂の上の民家の前庭には、やはり思った通り、沈丁花が小さな花をつけている。
幼い頃、この時期に漂う香りが気になって、今は亡き祖母に聞いた時に教えてくれた花。
毎年変わらず庭の片隅から春の訪れを知らせてくれる花。
そういえばすっかり空き家状態になっている母方の祖父母宅には、裏庭に沈丁花があった。
庭いじりの好きだった二人が育てたおかげで、それはそれは大ぶりな花をつけて、今ぐらいの季節にあたり一面を春に塗り替えていた。
あの沈丁花は今年もまた、人知れず故郷に春をもたらしているのだろうか。
ふと気づけば、近所のはずなのに全く見覚えの無いところを歩いている。
いつも平日は仕事、休日は家か中心街の方に出てしまうから、自分の住む町をちっとも知らなかった。
こんなところに立派な神社があるなんて、こんなところに細い細い抜け道があるなんて。
一年近く住んでいたとは思えないほどあたりをきょろきょろと見まわしていたら、雑居ビルの隙間から鮮やかな青空と、それを真ん中から裂くようにそびえたつものがあった。
スカイツリーだ。
画一にできた日本全国の住宅街。
三月の晴れた日、閑古鳥の鳴く雑貨店、猫、満開の白梅。
あまねく日本に点在する町とほとんど区別のつかない僕の住むこの町はしかし、果てしなく高い電波塔を、しれっと背景にあしらっている。
「東京に住む人間の優越感」なんて月並みな言葉で片づけるのが野暮に感じるような不思議な感覚。
これをきちんと言葉にするために、どのくらい時間がかかるのだろう。
帰り際にコンビニで水と暖かい紅茶を買って家のポストを探ると、注文していたCDが届いていた。
Orangeade、北園みなみが参加しているバンドのデビュー作だ。
部屋に戻るなりそそくさと封を切って、CDを聴く。
PCを立ち上げて、紅茶を開封する。
おもむろに、しかし何かにせっつかれるようにキーボードを叩く。
明日は金曜日。